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インタビュー 2024.03.30

【他団体・多職種による情報共有・事例検討会】vol.8 特定非営利活動法人 翔和学園

2024年1月22日(月)、日本財団の助成事業『訪問型養育支援強化事業』の一つである『他団体・多職種による情報共有・事例検討会』の第八弾を開催しました。

 

今回お話を伺ったのは東京都中野区にある「特定非営利活動法人 翔和学園」のカスタマーサービス担当 中村朋彦さん(左下)と教務担当 西山幸恵さん(右下)です。

 

 

翔和学園の概要や特徴、普段接していらっしゃる親子の様子、他機関との連携、お二人がこのお仕事を始めるきっかけなど、詳しくお話をお聞きしました。

 

※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

小学生から就労まで、一貫した特別支援教育

―最初に翔和学園について教えてください。

 

中村さん(以下、中村):翔和学園は小中学部、高等部、大学部があり、発達障害の子どもや若者に行政の垣根を越えて必要なサービス提供する特別支援機関です。

 

小中学生はいわゆるフリースクールの形式で、公立の小中学校に学籍を置きながら、翔和学園に通っていただきます。毎週こちらからレポートをお送りして、出席を振替えていただいて、義務教育終了という形になっています。

 

高等部については色々なパターンがあります。フリースクールとして通われる方もいますし、通信制の高校と併修する方もいます。第三の選択肢として、高卒認定試験を一緒にチャレンジするという方もいます。

高等部入学後、学力に応じて様々な選択肢を用意しています。学力が中学2年生くらいまで追いついている方は高校の勉強ができますので通信制高校との併修を勧めています。

小6、中1ぐらいまでは頑張ったけど、まだ高校の勉強は難しいという方は自分のペースでゆっくり高卒認定をやります。学習レディネスを飛び越えた課題ではなく、本人がきちんと理解できる学習からスタートします。

 

主に発達障害のお子さんたちなので小学校に全然行けなかった、行っていても授業に出られず、中学3年生でも小学3年生の時点でつまずいているお子さんもいます。そういうお子さんは、今、必要な勉強をちゃんとしていこうということで高校もフリースクール選んでいただいています。

 

大学部は18歳以上の若者に就労訓練ではなく教育の機会を提供したいということで、福祉サービスを使いながらキャンパスライフ型の自立訓練を2013年から行っています。その後、就労移行支援なども使いながら就労までの一貫した特別支援教育を行うことにチャレンジしてきた法人です。

 

※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

 

―最初からそのような形で運営をされていたのですか?

 

 中村:もともとは翔和学園大学部という形で18歳以上の部門から始まり、約160万円の学費をいただいて運営していました。

福祉サービスの自立訓練や就労移行支援事業は、毎日利用すると国からの訓練等給付費がおおよそそのくらいの金額になります。金額だけを聞くとかなりの高額という印象を持たれると思いますが、福祉サービスの給付費の額をふまえると、妥当な設定だったと思っています。

ただ、18歳以上の発達障害のある若者に教育をしてく中で、もっと早く支援をしていればこの子たちはもっと可能性が伸びたはずだと思うようになり、高等部を作り、小中学部を作っていきました。

 

そこで、1つジレンマがありました。小中学部を作った当時は小さいお子さんの親御さんなので、保護者の所得層がそれほど高くないだろうと思いました。そこで大学部は160万円ですが、小学部は84万円、中学部は98万円という設定をしました。私立の小中学校よりも少し高いぐらいの水準です。でも月7万円ならなんとか出してもらえるのではというギリギリの設定をしていました。

 

実際に国の予算でみると、公立の小中学校では大体1人当たり100万円ぐらいかかっています。特別支援学級の固定級だと200万、特別支援学校だと500万ぐらいという中で、よくその金額でやれていましたね、と行政機関の方から言われたこともあります。

そんな中で、「裕福ではないですがなんとか月7万円払います」と小学生のお子さんが入学してくださったこともあります。中学部までうまくいっていましたが、あるお母さんから「先生、もう学費ないわよ。このまま大学部なんて絶対行けない」と言われました。

大学部の学費は160万円だったので「中学部で終わりにして、高等部は特別支援学校に行くわ」とか、「高等部までは頑張ったけど、職業訓練校にするわ」と、本当は翔和学園の教育を受けたいけれど、お金の問題で受けられないというジレンマが起きてきたのです。

 

ちょうどその時期に民間が障害福祉サービスに参入できるという法改正が行われたこともあり、福祉サービスの自立訓練事業を使って、学費負担のない形で18歳以上の教育的支援機関を作っていくことを始めました。

 

翔和学園の特徴の1つとしては、元々学費をいただいて運営していた分、家庭的なバックグラウンドが比較的しっかりしている方が多かったのです。高校、大学の卒業資格も取れないのに学費に160万払うというご家庭は、それなりに教育にも熱心だし、経済的にもしっかりしている方が多かったのだと思います。

福祉サービスとして運営することによって門戸が広がった分、親御さんの精神疾患や生活保護の問題ということが少しずつ私たちの視野に入ってきているところです。

 

2018年からは23区のある自治体から委託を受けて、15歳~18歳の不登校の子どもたちのサポートも行っています。

無料で利用ができるので、虐待や貧困、お母さんの精神疾患、生活保護など、そういった問題を抱えている親御さんと接する機会が増えてきたことが最近の翔和学園の事情になります。

 

※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

苦手さに配慮しながら、青春を謳歌する

―そういった経緯があるのですね。他にも学園の特徴としてはどんな点があるのでしょうか?

 

 中村:大学部については青春を謳歌するということが、私たちのコンセプトの1つになっています。

イメージは高校野球です。高校球児が野球に汗を流しますが、甲子園で優勝したチームのレギュラーメンバー全員がプロ野球選手にならないでしょう。ではあの高校時代が無駄だったかというとそんなことはありません。あそこまで仲間と一緒に頑張ったからこそ、野球のプロを目指したり、諦めたり、「いや、僕は野球じゃなくてスポーツトレーナーになってやる」とか、「将来結婚して子どもができたら草野球やろう」とか、色々な形で野球との向き合い方を決めると思うのです。

それと同じように、イラストだったり、ゲームだったり、勉強だったり、カラオケだったり、色々なものに打ち込んで自分はどう生きるかを決めてもらいたいのです。

そう願って翔和学園は『青春を謳歌する』を大切にしています。

 

主に自閉症の若者が多い中で、青春という非常に曖昧な概念を打ち出すことはかなり異色だと思います。しかし、きちんと苦手さに配慮をすれば、青春を謳歌するようになっていくというのが私たちの実感です。

 

※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

 

あと、面白い活動の一つとして千葉県の君津市の里山をお借りして、TOKIOのダッシュ村のような活動をしています。合宿場所は28世帯の集落で、1番若い方で55歳、9割以上の方は70歳を超えているところなんですが、地元の皆さんがすごく可愛がってくれるのです。

 

どんな風に可愛がってくれるかというと、子どもたちに「おめえ、バーベキューやってんのに何ボーっと突っ立ってんじゃねえよ、ちょっとぐらい肉焼け」とか、表面的には、結構荒っぽい言葉遣いなんです。

 

でも誰もパニックを起こしたり、嫌いになったりしません。言葉遣いは荒いのですが、ものすごく愛情深いのです。

 

子どもが「あの、僕は発達障害で、アスペルガーという…」なんて話しても、「アスペルガーってなんだ。何が苦手なんだ、言ってみろ」、「人の気持ちが読みづらいんです」、「人の気持ちなんか、俺だってわかんねえよ」と、そんな感じで受け入れてくださるのです。

自分たちで小屋を作ったりもするのですが、危なっかしいからといっぱい手伝ってくださり、帰り際になると、帰っちゃうのは寂しいとか言われたりするのです。

 

西山さん(以下、西山):合宿は本当に楽しいです。寝袋を持っていかないといけないんですよ。屋根が付いている小屋があるだけで、電気もガスも通っていませんので。

 

中村:最初は屋根が付いている小屋もなくビニールハウスです。農業用の大きいビニールハウスを作ってもらって、そこに野菜かごを並べて、野菜かごの上に板を敷いて、その上に布団を敷いて寝るのです。でもこれがまたいいのです。夜は星が見えて、朝になると、ぽたって夜露が垂れてきて目覚めるのですよ。

 

大変なアウトドアなので、子どもたちはすぐ「先生疲れました。休憩していいですか」と言うのです。「いいよ、いいよ!ビニールハウスで休んでおいで」と言うと、「先生、暑くて休憩できないんですけど」、「じゃあ、しょうがないから働こっか」というような感じです。

 

一歩間違えれば、障害のある子どもたちに虐待をしているみたいに思われがちですが、この合宿では、例えばレストランをしてお客さんをもてなしてみようとか、来年に向けて小屋を1個建てようとか、未来に向かう経験をみんなで楽しんでいます。

 

   ※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

 

―楽しんでいますね!なかなかハードですが、そこでしか経験できないことばかりですね。いつからこの合宿をやっていらっしゃるのですか?

 

中村:2011年からなので、もう長いですね。1年に3回、長い時には7泊8日の合宿をしたこともあります。卒業した若者たちが、同窓会で、その価値を語ってくれたことがあります。

「合宿はものすごく楽しかった。でも、正直に言うと、こんなことやって就職には役に立つんだろうか?と思っていた。就職してみて分かったのは、毎日が、合宿みたいにハードだってこと。学生時代に経験しておいてよかった」と。

一人一人の異なる能力(差異能)をプロデュース

―続いては、大学部を卒業されたあとの進路について教えてください。

 

中村:一般就労につながるケースが全卒業生の約7割くらいです。その中の9割が、障害者雇用枠での就労です。手帳を使うことが悪いわけではないのですが、一人ひとりの若者がその強みを活かして、場合によっては障害者雇用枠ではない形で社会に出ていくためのチャレンジを今後10年でやっていきたいと思っています。

 

―具体的にはどんなチャレンジを考えているのですか?

 

中村:学生時代は、「夢に向かって頑張ろうぜ」、「自分の可能性伸ばそうぜ」、「仲間に本気でぶつかり合おうぜ」ということ伝えているのですが、就労支援の段階になった瞬間に、「自己主張はいいから、とりあえず言われたことやってください」と言わざるを得なくなるのです。

なぜなら、障害者雇用で求められる人材はそういう人材だからです。これは私たちにとって大変なジレンマでした。そこを変えていきたいと思っています。

 

それはどういうことかといえば、例えば、消しゴムのカスを指で10分間こね続けて、そのカスを9メートル36センチまで細く伸ばした記録を持っている子がいるのです。すごくないですか!

公式なギネス認定をされている長さは9メートル17センチで、都内の特別支援学校の生徒が持っています。ギネスはお金払わないと登録できないのでそれはできなかったのですが、その子の記録は9メートル36センチなのです。

 

仲間たちからも「お前すごいな」と言われました。彼も最初は小中学校時代の失敗体験から人間嫌いでした。しかし、彼のパフォーマンスがとびぬけているので、「お前すごいな、面白いな」とみんな寄ってくるのです。そうしたら彼も仲間を好きになって、友達とカラオケに行ったりすることが好きになりました。

 

就職もたまたまその子のご家族の知り合いが工業塗装の会社を経営されていて、その会社に決まりました。面接では10分間消しゴムのカスを9メートル36センチ伸ばす集中力と、その指先の微細な感覚を生かして活躍してほしいと言われました。

工業塗装なので大きな機械でばーっと塗料を吹きかけます。そうすると塗るところと塗らないところを分けなくてはいけないので、塗らないところにマスキングテープを貼るのです。マスキングテープを貼って、例えば、ちょっと曲線のところなどは細いカッターで切ってペリっと剥がします。この仕事は君なら絶対活躍できるといって採用されました。

もう勤続8年目ぐらいになっています。最近同窓会で会ったら、塗装の仕事も任せてもらえるようになったと言っていました。

 

消しゴムのカスを長く伸ばすというパフォーマンスそのものでは社会の中でお金を稼ぐのはなかなか難しいかもしれません。しかしその裏側にある「指先な微細な感覚と集中力、それが好きだという感覚」については、社会の中で経済的な価値を生み出せるわけです。一人ひとりのパフォーマンスの裏側にある特異な能力をどのようにプロデュースすれば社会の中でお金が回る活動の中に入っていけるのか、そのマッチングの精度をこれから上げていきたいと考えています。今話した卒業生はたまたまでしたが、そうではなく、これを狙ってやっていきたいと思っています。

 

もう1つは、私たちはそういうパフォーマンス系の課題で本人に自信を持たせるのは得意だったのですが、教科学習の指導が弱かったのです。そこで、基礎的な教科の力を身につけた上で、そのようなパフォーマンスを持ち、しかもやり抜く力がある人材を育てていきたいと考えています。

 

主体的に、責任ある自己決定をして生きていくためには、必要最低限の学力はやはり必要です。なので、基礎学力の意味について子どもたちにも納得をさせた上で、特別支援の手立てを講じて本人に過度な負担をかけることなく基礎学力を保障していくことにも、もちろん力を入れていきます。文科省がいうところの「指導の個別化」の部分です。

 

それと同時に、自分が得意なことをとことん突き詰めるためにどうしても必要な基礎学力を学ぶという学びもデザインしていきたいと思っています。話すと長くなってしまうので若干省略しますが、ある21歳の若者が、「絵を描くのがうまくなりたい」というモチベーションのために、苦手だった国語の学習に一生懸命取り組んだケースなどもあります。こういった、文科省がいうところの「学びの個性化」の方向性でも、基礎学力の充実を図っていきたいと思っています。

 

※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

どんな環境に生まれても幸せに生きていける、そんな世の中を教育で作っていきたい

続いては中村さんと西山さんが今の仕事を始めようと思ったきっかけを教えてください。

 

中村:私は大学生の時に起きた酒鬼薔薇事件(1997年)がターニングポイントになっています。

元々教育系の仕事をしたいと思って教育学部にいました。そこであの事件が起こったのです。その当時の私は「こんなにひどいことをするやつは絶対変わるわけがないから死刑にならなくてはいけない」とその瞬間に思ってしまったのです。

だから教師よりも、むしろ法制度を変えていくような仕事の方が良いのではないかと思っていました。しかし、本当に偶然だったのですが、加害少年の付添弁護人の先生の話を聴く機会がありました。

 

私は息巻いて、「そんな少年の弁護をやるなんてあんたふざけてる」と言おうと思って行ったのです。

そうしたら、その先生の話が衝撃的でした。「自分で言うのもなんだけどね」と仰りながら「僕との一対一の関係の中で、彼は人間性を取り戻しているんだ」というお話を色々なエピソード交えてしてくださったのです。

 

私は、人は変わるのだとショックを受けました。そこからは、なぜあのような事件が起きたのだろうということに興味を持ちました。

 

その他にも女子高生コンクリート詰め殺人事件(1988年)、西鉄バスジャック事件(2000年)などの少年犯罪を調べていく中で、当たり前ですが人を殺そうと思って生まれてくる子はいないのだと思いました。その子たちが誰にも手を差し伸べられなかった結果として、あのような犯罪を犯してしまったという風に思ったのです。

手を差し伸べるのがいわゆる反社会的な方であれば、女子高生コンクリート詰め殺人のようになっていくし、本当に誰も手を差し伸べない場合は酒鬼薔薇事件の少年Aのようにどんどん心を歪ませていくのです。

 

この子たちは義務教育を9年受けた結果、犯罪者になってしまったといえるのではないか、と思いました。そんな教育はおかしい、何か日本の教育を変える仕事ができないものか、と思ったのです。

 

当時、「学校文化」「教員文化」という研究が盛んにおこなわれていました。そのような学校特有の文化の中で、一人ひとりの先生方が子どもに寄り添う仕事が出来なくなっていくというレポートが沢山出されていました。その文化の中に入ったら、自分は多分自己主張できないだろう、そんなに自分は強くないと思っていました。

本当に1人1人に寄り添える仕事ってなんだろうと思った時に、当時臨床心理士という資格ができていたので、そこなのではないかと思って大学院に行きました。

その中でスクールカウンセラーの仕事を知りましたが、カウンセリングルームから出られなかったり、教室でいじめがあってもそこには何も関われないということもあり、どんな仕事だったら自分がやりたいのだろうと考えているうちに、たまたま実習先で翔和学園に出会ったのです。

 

私はこの世に生まれてきた子があんなに悲しい事件を起こすようなことはゼロにしたいのです。あんな悲しいニュースは見たくないのです。

どんな環境に生まれても幸せに生きていける、そういう世の中を作っていくために必要なことが教育だと思ったのでこの仕事を選びました。

 

今は学園長を務めている伊藤が、当時は現場の責任者として教室で授業をしていました。一切の妥協も打算もなくとことん子供に向き合う姿勢を見て、この人と一緒に仕事をさせてもらったら自分ももっと成長できるし、少しずつでも教育を現場から変えていく仕事ができるのではないかと思いました。それで、実習先を終えた後ボランティアスタッフとして関わらせてもらい、そのまま就職させていただき、今に至るというわけです。

 

―酒鬼薔薇事件をきっかけに、教育を変えていこうというお気持ちでやっていらっしゃるのですね。

 

中村:衝撃的な事件でしたし、事件のルポを読んでショックを受けました。誰か一人でも彼に手を差し伸べる人はいなかったのか…と。

私自身も多分色々特性はあって、小中学生時代かなり苦労しました。たまたま塾の先生がすごく良い方で、私はその人に救われたと思っています。その出会いがなかったらもっと世の中を恨んで生きていたと思うのです。だからある種、他人事ではない気持ちや感覚もあります。

 

―本当に人生は誰に出会うかで変わりますよね。

 

中村:そう思います。1人でも酒鬼薔薇事件の少年に寄り添ってくれる人がいれば、彼はあの事件を起こさなかったかもしれません。

幼少期の経験が児童福祉を学ぶきっかけに

―西山さんもお願いできますか?

 

西山: 私はこれまで普通に会社に勤めていましたが、自分もだんだん上になり長く勤めた人たちがどんどん辞めていき、人材育成に悩む時期になったときに、人材育成と教育を学び直そうと思い、法政大学のキャリアデザイン学部に社会人入学しました。

 

大学には尾木先生(尾木ママ)や色々な教育の原点のようなことをやってきた先生たちがいらっしゃったので、4年間かけて教職を学びました。キャリアデザイン学部は昼夜開講で、自分の都合のいい時間のコマを選べるようなシステムになっていましたので、働きながら社会人学生としてずっと学んでいました。そんな中で、大学院にも進みたい気持ちになり、その時勤めていた会社の社長に伝えたところ、「いいんじゃない、学んでおいで。やりたいことをとことんやったら、僕らの会社に役立てて」といって快く送り出してくれました。

大学院では大学のゼミを通して「教育の前にまず家庭や環境が整っていないと学ぶところにはいかない」ということを感じたので児童福祉を取ろうと思いました。

 

児童福祉を学ぼうと思ったのは私の幼少期の出来事も関係しています。

私も若干小学校に馴染まない子どもで、小学校1、2年生は不登校でした。その1年生の不登校の時に同じ学校の6年生で、袖のところに鼻水がカピカピになってついている同じセーターを毎日着ているお兄ちゃんがいました。

でもそのお兄ちゃんは渋っている私をおぶって、自分のランドセルと私のランドセルをしょって、学校に連れていってくれました。そのお兄ちゃんがいなければ、私は多分学校に行くのをやめていたと思います。

 

私が2年生になったらそのお兄ちゃんは中学生になりましたが、中学生になると不良になってしまって、先生やお巡りさんに追いかけ回されていたシーンを何度か見たことがありました。

大学院に入る時に、あのお兄ちゃんはどうなったかなと思って、母に聞いたのです。母は地元の村で一軒しかない病院の看護師だったので事情をよく知っていました。

 

「あのお兄ちゃんどうなった?私、大学院で児童福祉を学びたいんだけど」と言ったら、その年に地元の自分の生まれ育った家の梁に首を吊って死んでしまっていたのです。

 

よくよく母親に話を聞くと、お母さんが統合失調症でお父さんがアル中だったのです。私は小学校の時にはそんな事情に全く気がつきませんでした。でもこれは何かの導きだと思い、先ほども話にでた酒鬼薔事件の加害者の少年や犯罪を犯したり不良行為のおそれのある少年たちが措置として送られる児童自立支援施設を研究対象に定めました。

 

義務教育下にそういう施設に措置されて、義務教育をきちんと受けられなかった子たちの今後の人生はどうしていくのだろう、ということを研究対象にし、児童自立支援施設でアルバイトをしながら一緒に生活し、教育や福祉を学びました。途中仕事の事情で1年間休学しましたが3年かけて働きながら大学院を卒業しました。

 

卒業後は、さぁ会社に戻り、学んだことを役立てようと思ったところで、その時の社長が出張先で亡くなられるということが起きてしまいました。当時私は中学生の子どもを二人育てるシングルマザーでしたので、どうしても生活することの方にシフトを変えなくてはならず、夢を叶えている場合ではなくなりました。

そこから子ども二人が大学を卒業するまで、いつかこの仕事に関わりたいと思いながらここまで来て、50代後半になってやっとこの学校に出会い、今1年目です。この4月から夢を叶えている状態です。

 

―西山さんにもドラマがありますね!仕事も子育てもされながら大学院まで卒業されたのは本当にすごいことだと思います。

親御さん自身も苦手さや困り感を抱えている

ーお二人とも熱い思いを持ってこのお仕事を始めて様々なご経験をされていると思いますが、お子さんやご家庭との関わりの中でもっと支援が必要で、家庭に入らないと見えないと感じられる状況や例について少しお話していただけますか?

 

中村:そうですね。何点かあります。一つはやはり発達障害の子どもたちの対応をしているので、往々にして親御さん自身も生きづらさをかかえていらっしゃることが多いです。誤解のないようにお伝えしようと思いますが、発達障害の診断基準に該当するような特性自体はやはり遺伝すると私たちは思っています。ただ、発達障害の診断基準にはこういう特徴を持っていて、なおかつ、著しい不適応を起こしたら診断せよと書いてあるのです。だから生まれつきの発達障害は確かにいません。しかし、生まれつきの特性はみんな持っているのです。

 

どちらかと言えば、お父さんにアスペルガーの傾向があって、夫婦関係においてなかなか共感的な関係性が成立せずにお母さんがうつになっていく。最近カサンドラ症候群という言葉が書籍やネットなどでもよく使われるようになっていますが、そういう状態のご家庭が少なからずあります。

 

いわゆるわかりやすい虐待やネグレクトではありませんが、お父さんがアスペルガーの場合、1か0かで考える方が多いので子どもに対して大変厳しくなってしまうこともあります。「宿題やるのかやらないか、どっちかはっきりしろ」とか「勉強やると決めたらやる。やらないんだったらお前に飯なんか食わせない」などです。お父さんはよかれと思って一生懸命やっているのですが、お子さん自身が家庭の中で安心できないというパターンです。

 

もう一つは、お父さんがそういう形だとお母さんが共感を求めてもやはりなかなか共感してもらえないのです。「子育てって辛いのよ」、「今日聞いてよ、うちの子がさ、もう転んじゃって大変だったのよ」と言うと、ご主人が「でも、もう怪我治ったんでしょ」とか「死ななかったらいいじゃん」とか「そんなこと今言われたって俺何もできないんだから、こんな話いちいち仕事が疲れてるんだから言わないでくれる」とか、そういう風になってしまうそうなのです。

 

しかし、お母さんが求めていらっしゃるのは「そっか、怪我したのか。心配だったよな」とか「大怪我にならなくてよかったよ、ありがとうな」などそういう言葉なのです。でも、そういう共感的な言葉がけをしてもらえないのです。極端な話、ある種のモラハラのようなことも起きてくるわけです。

「お前、専業主婦なのに片付けもできないのか」、「俺は金稼いできてんだから子供ぐらいちゃんと育てろ、なんで不登校にしてんだ」などと言われてしまうこともあるそうです。難しいのは、お父様にも一切悪意がないということです。

そうすると、お母さんがうつになってしまい、うつのお母さんに育てられる難しさを抱えている子どもたちもすごく多いです。

 

もう一つは自閉症を持っている子どもたちは、例えばお母さんが抱っこしてあげても動きを合わせられなくて、お母さんからすると丸太を抱っこしているように感じることがあるそうです。抱っこしても気持ちよさそうにしないし、目が合ってニッコリすることもない。そんな乳幼児期の子育てを振り返って、お母さんたちは「可愛いと思えなかった。先生ごめんなさい」とはっきり言うのです。例えば兄弟が定型発達のお母さんたちは、子どもってこんなに自然に自分に懐くんだとわかりますし、目も合うし、可愛いと思えます。

 

自閉症の子どもがそうなるのは自分のせいではないと思えるお母さんはいいのですが、その子お一人だと自分の子育てのせいだと思ってしまうのです。そうすると、いわゆる愛着形成がうまくいかないまま子どもが成長していきますし、お母さんもうつ状態になって、家事がままならなくなるなど、家庭の中でも難しくなってくるケースがたくさんあります。では誰かが支援に入れるかというとそれも難しくて、お子さんのヘルパーはお母さんの支援はできないし、お母さんにヘルパーが入ったとしても、お母さんの食事は作れるけど子供の食事は作れないなど、なかなか利用できる支援がないわけです。

 

メンタルという意味で言うと、お母さんたちも親同士で「いや、うちの子大変なのよ」「そうよね」と声をかけられる関係性があれば良いのですが、そういう関係性を築くことが苦手なお母さんたちが多いのです。

なぜかというと、子どもの問題行動が激しいので、通常のクラスの中でお母さんも居場所がないのです。保護者会に行けば針のむしろ。「うちの子大変なんです」と言っても、共感を得るのではなくて攻撃されるわけです。「大変とか言うけど、あんたの子のおかげでうちの子だって大変なのよ」と言われてしまいます。

 

そうして誰からも共感されずに孤独になっていき、結果的に養育放棄や心理的虐待に近い関わり方になってしまっています。そんなケースが翔和学園でも委託事業の方でも増えてきていることをすごく感じます。

 

―実際にそういったお話は日々のやり取りの中で、お母さんから自然に話されることが多いのですか。

 

中村:いえ、決してそればかりでもないですね。学校の送り迎えに来るお母さんの様子がなんか元気がないなあと思って、ちょこちょこお話を聞いているうちに、実は…とお話をされたこともあります。

 

他にも確証は得られないけど間違いなくご家庭で何かあると感じるので、そこに私たちが踏み込もうとしても「いや大丈夫です」となってしまって、ご自分ではなかなかヘルプが出せないお母さんもいらっしゃいます。

 

委託事業でも難しさを抱えているご家庭はあります。保健師さんが家庭訪問されているケースなどは、保健師さんにご家庭の支援をお願いするケースはあります。子ども家庭支援センターにつながり、相談レベルでお母さんが楽になれるケースもありますが、育児や家事が大変でその支援となると追いつかず、悪循環に陥っている方は結構います。

 

―お母さんの真のニーズに繋がるのが難しいところがあるのですね。

 

 中村:親御さん自身も、苦手さや困り感を抱えているかもしれないと思うケースもあります。

「子どもは片付けが苦手なんです」と訴えてこられるのですが、お母さんももしかしたら家事が苦手なんじゃないかなあと思っても、なかなか支援につなげることが難しいことを痛感しています。

保健師さんにいろいろなケースのことで相談をしていると、親御さんが家庭訪問に前向きでないというケースは少なからずあります。家の中に他人を呼ぶということに抵抗感があったり、支援を受けることや、それによって結局は親の仕事が増えると思っていらっしゃるケースもあるんじゃないかと思うんです。

 

でも、自分で片付けが出来るように支援するための専門家が来ました、ではなくて、「お母さんもいつも大変だから、ちょっと一休みしてていいですよ。その間に、一旦、片付けしちゃいますね。」というぐらいの感じでしたら、もしかしたら家に入れるかもしれませんね。

 

お母さんの家事の様子やお子さんとの関わり、お父さんとの関係性などが見えてくれば、今ネットワークを組んでいる関係者が手を出せる部分があるかもしれないと思います。しかし、子ども家庭支援センターには繋がっているけれど、ケースに上げづらいということもあるようです。いわゆる行政上の予算を使うかどうかのチェックシートで見れば、他にもっと大変な家庭の方が実は多いのだということです。話を聞いていけば大変なご家庭だということはわかるのですが、チェックシート上では上がってはこないのでここも難しいところだなと思います。

人を頼り、上手に依存しながら子育てをしていってほしい

―まさに支援が必要なのに公的支援には繋がらない家庭があるということですね。教育機関として長く運営されてきた中で、こういった大変さを抱えているご家庭について、時代と共に感じている変化はありますか?

 

中村:委託事業でのことです。高校生の年代の不登校支援のために来ていただいているお二人の先生がそろって「親の教育力が年々落ちている」ということをはっきり仰っています。委託を受けている区で小中学校を退職し40数年子どもたちを見ておられた先生方です。

 

私が感じる以上に、危機的な状況を感じているということです。もちろん親御さん自身の人生も大事だけど、それにしても、子どもの人生よりも自分を優先する親が増えてきたということをお二人とも共通して仰っています。

 

委託を受けて4年目になりますが、立ち上げてから2年目ぐらいまではこんなに社会的養護を必要とするケースはなかったと思います。

 

現在、高校生以上の相談で30ケースほどの登録があるのですが、3割くらいの割合で、家庭の状況に困難さがあります。生活保護世帯、貧困、先ほど申し上げたようなわかりやすい虐待ではないけど不適切な養育、親御さんの精神疾患などです。ただ、これは私たちが長くやってきているからそういうケースが繋がるようになったのか、実際に増えているのかはわからないのですが。

 

翔和学園の親御さんについても、昔の方がどーんと構えているお母さんが多かったような気がします。私も若かったので親御さんのところまで見る余裕はそんなにありませんでしたが、「先生、大丈夫、大丈夫。うちの子なんてね、そんなひっぱたいたって死にはしないんだから頑張ってよ」という感じだったと思います。今の親御さんの方がもう少しセンシティブですね。勉強されているのもあると思います。

 

我が家の話になりますが、甥っ子が自閉症の診断をうけています。

父親は個人事業で士業を営んでいるので非常に多忙です。なので、これは義理の妹夫婦だけで子育てをしていくのは絶対無理だと思って、うちで一緒に暮らそうと言いました。義理の両親とも同居をしていたので、みんなで一緒に育てよう、ということで11人での同居をしていました。今は、甥っ子も成長したこともあり、家族4人で安定して暮らせるようになっています。

 

発達障害でなくても夫婦だけで子育てを完結するのは絶対に無理があると思っています。夫婦だけで子育てができて初めて一人前、それこそ子どもが自立して家を出てこそ一人前、というような雰囲気が今の社会の中にあるような気がしています。

でも本当はそうではないのです。自分の親や地域の人、ママ友達などに頼り、上手に依存しながらやっていくのが健全な子育ての在り方なんじゃないかと思うんです。そう考えると、この社会構造の変化の中で問題が深刻化して広がっているのだと思います。
といっても、今の時代みんなが両親と同居しましょうとはいかないので、どうしたらいいのか今一生懸命考えているところです。

問題の根っこにあるのは「孤立」。孤立の解消なら私たちもできることがある

―中村さんも最初は子どもたちのためというところからスタートされて、どんどん家庭の背景や状況が見えてきて、今はそちらの方にも力を入れている状況でなんですね。

 

中村:そうですね。発達障害に伴う学力不振や対人関係の難しさ、虐待など色々な問題がありますが、突き詰めて考えていくと根っこにあるのは全部「孤立」だと思うのです。

 

虐待や貧困の解決となると私たちには手が負えないと思いますが、根っこにある「孤立」の問題を解消しようと思えば私たちでも出来ることがあるかなと思います。

 

そこで、委託事業では保護者の横の繋がりを作ることを今頑張っています。お母さんたちと茶話会を開催したり、これは事業の枠組みにもあるのですが親子合宿を行っています。その中で、他の家庭の子どもと接する時間を作ると「自分の息子には優しくできないのに他の家の子には優しくできるんです」なんてお母さんが言うのです。そういうものですよね、私もそうです。血が繋がっているとどうしても感情的になりますよね。

 

他のお父さんの関わりを見ていて「別に怒らなくてもいいんだと気づいた」と言うお父さんがいました。これも結局、孤立していると絶対に気づかない価値観です。ある種、価値観が相対化されるだけで、ちょっとした虐待的連鎖は断ち切れるのだと思います。

 

イベントで餅つき大会をやりましょう、という企画を準備しています。楽しいことをやっていると人は集まってきますよね。そんな中で、お母さんお父さんたちに役割を持ってもらいます。

子育てするだけで感謝される経験は少ないと思いますが、役割を持ってもらって、他の家庭のお子さんから、優しくしてくれてありがとうと言われたりすると嬉しいですよね。1人ではイベントができないので、お母さんたちに手伝ってもらえたら私も本当に心から感謝を伝えられますし、そんなことしながらコミュニティのようなものを作っていきたいと思っています。

 

面白いこともありました。お父さんたちの方から「実は僕は実家で45年間餅つきを担当していたんです」とか、別の方は「しめ縄は作れるんですけどやりませんか」と言ってくれるのです。

皆さん色々な能力を持っていて、それぞれの会社で活躍をされている人たちなので、そういう人たちの得意技を生かして、また教育を前進させていくことができたら子どもたちのためにもなると思います。そんなことを今始めていて、これをどこかのタイミングで翔和学園本体とも合流させて、みんなで子どもたちを支えるコミュニティ作りを仕掛けたいと思っているところです。

 

―親同士の横のつながりを作っていくのは大事ですし、仕掛けづくりも面白いですね。そのためにも普段、親御さんとの接点はどんな風に作っているのですか?

 

中村:委託事業で開催している保護者の茶話会は月に1回、第2火曜日の13時から15時30分に行っています。そこに、卒業した子どもたちの親御さんに「辛い時期を乗り越えたお母さんたちだから、ちょっと力を貸して!」と来てもらっています。あとは教室への送り迎えの時に少しお話をしたり、随時親御さんとお話をする機会を作っています。

カスタマーサービス担当に込められた思い

―やはり親御さんとのコミュニケーションは大切だと感じていますか?

 

中村:そうですね。なぜこんなこと始めたかというと、2020年の1月頃に私と学園長で保護者対応について話をしていたことがきっかけです。

当時、翔和学園に限らず公立学校でも教員の鬱の問題が起きていて、そのストレスの第一位が保護者対応だ、というアンケートもあるくらいです。

 

翔和学園でも保護者対応は現場の職員にとって難しさがありました。考えてみれば当然ですが、保護者からすると自分より若い子育て経験のないスタッフに腹を割って話すのって難しいですよね。それに、保護者の皆さんも特別支援教育のことを、本当によく勉強されています。そんな中で、特に若手のスタッフたちが保護者の皆さんとの関係作りに悩んでいたのです。

 

そんな話を学園長としていたら、当時90人ほどの保護者がいらしたのですが、「中村、お前が全ケースの保護者を担当しろ。お前がそこを全部やってくれたら、現場の先生たちはもっと元気に子どもたちに向き合えるはずだから」と。

「キャリア考えたらお前しかいないだろう」とか、「なんとなく優しそうだからきっとうまく行く!」という理由で学園長にたぶらかされて(笑)、「お子さんのことは何でも中村に言ってくださいね」というコンセプトでカスタマーサービスというような担当部署ができたのです。

 

しかし、クレームから何から全部私にくるので大変でした。でも先生たちはおかげさまで大変仕事がしやすくなったようです(笑)。

 

私自身も、保護者の皆さんと密にかかわるようになって、新しい発見が沢山ありました。それまでは、「教師が責任をもって全部やらなければならない!」って気負っていた部分が強かったように思います。今は、「親御さんの協力も得た方が子どもの教育はうまくいく」と実感をもって語れます。その結果、私自身も、仕事観が変わりましたし、仕事がもっと楽しくなってきました。

 

なるほど。親御さんとの丁寧なコミュニケーションの原点にはそういった経緯があったのですね。中村さんの肩書にあるカスタマーサービスの意味もよくわかりました!

 

中村:そうなんです。そんなことやりながら、やはりこれはすごく意味がある、公立学校にも提案できるモデルにしてこうと思いました。

翔和学園でのカスタマーサービスの仕組みを委託事業でも構築しながら、そちらの保護者支援にも力を入れていきました。翔和学園の保護者にも来てもらって、お子さんが就労しているお母さんのお話を聴けるような翔和学園と委託事業の合同の茶話会をやっていきたいです。

 

―カスタマーサービスという名称に込められた思いが素晴らしいですね。子どもだけではなく、親も孤立させないための仕組み作りがあらためて意義深いと思いました。

 

中村:こうしたことをやっていけば、きっと孤立を解消する仕事ができるはずだと思っています。委託事業の仕事をしなきゃ、翔和学園の仕事もしなきゃと思うと大変ですが、「そうだ。今、私は『孤立』を解消としようと思って仕事をしてるんだ」と思うと、なんだか楽になってきます。

職員も青春を謳歌。自分も楽しく一緒に成長していきたい

―それでは最後に、お仕事を通して発達障害児の教育やとりまく環境がこんな風になっていったらいいなという思いや展望がありましたらお聞かせください。

 

西山:翔和学園は職員も含めて青春を謳歌し、良き人生のために人間の生きていく気力を育てるということが目標に掲げられています。ですので、私自身も楽しく、一緒に過ごしたいというのが今は一番です。私も一緒に夢を叶えている状態なので、教育とか支援とかということではなくて一緒に私も成長していきたいです。

 

そして、障害者雇用を義務から戦略に進化させる「ニューロダイバーシティコミュニティー」の広がりを毎年大切に続けることで、地域にも企業にも子どもたちにもどんどん広がるといいなと思っています。

 

※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

子どもも職員も、ニューロダイバーシティを活かした自己実現を目指したい

中村:今、西山も申し上げましたが、法人のこの10年のミッションとして、ニューロダイバーシティを活かした自己実現を目指そうと決めています。ニューロダイバーシティは脳神経学的な多様性です。

 

先ほどの消しゴムのカスの子でいえば、指先の微細な感覚と集中力、そしてそれが好きであったという、そこに特異性がありました。例えば、私と西山ももしかしたらすごくトレーニーニングを積んで死ぬ気でやれば、9メートル36センチをできるかもしれません。でも、私たちはそれを好きではありません。それはだだの差です。その差に、優劣や上下はありません。そのような差異が、どの人にもあるはずです。

 

他の人に、何で、どんなふうに喜んでもらえると自分は嬉しいか。

私たちはその嬉しさを味わうために職業選択をしていると思います。それは二十歳で決まるものでも、三十で決まるものではなくて、常にそれを追求し続けながら仕事のあり方を変えたり転職したりすることがキャリアデザインだと思います。

どんな環境に置かれても、そんなキャリアを送っていける社会を作ることに貢献したいと思っています。

 

でも、障害のある子たちはなぜか小学校、中学校で楽しい学校生活を送れず、差異には注目してもらえず、できないことを何とかみんなと同じようにできるようになりなさいと言われ続けてきています。そして高校生になり、就職時期が近づくと障害があるから早めに準備をした方がいいと言われて、職業訓練をします。人に喜んでもらうことが嬉しいという感覚がないまま社会に出ているケースがあまりにも多いと思うのです。

でも、その期間をまず伸ばし、仲間と楽しく過ごして、「人から感謝されることはこんなに素晴らしいのだ」という経験をしてから社会に送り出したいです。こんな社会参加のモデルをこの10年で作っていきたいと思っています。

 

その実現のためには、色々な人の力が必要です。

例えば、私たちが見つけられなかった知的障害のお子さんの能力をプロ棋士の先生が見つけて、囲碁が強くなったケースがありました。視覚情報の処理がとても得意なのです。そのお子さんは今、物流会社で荷物や伝票の仕分けの仕事をしていて、大変活躍をしています。超ベテランの社員さんも「もう俺たちじゃ叶わない、この子がいてくれるとすごく助かるね」と言っています

 

しかし、そうやって本人のニューロダイバーシティを認めてもらう形で就職に繋げられているのはわずかです。たまたまその子は囲碁棋士と出会ったことによって能力を見つけてもらえたので、私たちがそうした色々な出会いをプロデュースしていきたいと考えています。

 

※資料提供:特定非営利活動法人 翔和学園

 

2023年12月に、職員合宿を行いました。その中で、今後10年の翔和学園のビジョンやミッションについて語り合う中で、「まずは職員同士が互いのニューロダイバーシティを認め合って、お互いの強みでお互いの弱みを打ち消しあうような関係性をつくっていこうね」ということをみんなで約束しました。

まだまだお互いの強みで弱みを消し合うまではいかないのですが、それができるようになればその姿を見た子どもたちがきっと憧れてくれるはずだと思います。「それがスタート地点だよね!」ということを確認しました。

 

そして、それが実現すれば私が家に帰る時間がもう少し早くなって妻にも喜ばれるだろうと、そんなことを今考えているところです!

 

―色々な枠組みも超えて、本当に幅広く、深く社会全体を見ておられて、とても感銘を受けました。翔和学園が実践されている人それぞれの差異を認め合い、それを伸ばしていくことは障害があるなしに関わらず全ての人にとって自分らしく生きられる社会に繋がっていくと思いました。

中村さん、西山さん、この度は貴重なお話をありがとうございました。

 

ニューロダイバーシティ(神経多様性)とは?
Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、特に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念でもあります。(経済産業省)

 

▼ 特定非営利活動法人 翔和学園

 

 

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