【保育バカ一代】vol.29 あなただけ見つめてる
コラム 2024.11.25【令和6年能登半島地震 災害支援活動振り返りレポート】
発災からまもなく2か月が経過しようとしている令和6年能登半島地震。
1月中3回にわたり、Facebookで宮田の災害支援レポートを掲載してきましたが、今回は支援活動を終えての振り返りになります。被災地での支援活動を終え日常に戻った宮田が、日々バディチームのコーディネート業務を行いながら、現在感じていることなどを皆様にお伝えさせて頂きます。
【宮田の支援活動の概要】
皆様こんにちは。コーディネーターの宮田です。
バディチームの事業と直接的な関連はないのですが、能登半島地震発災後「国際医療NGOジャパンハート」さんの医療チームに参加し、石川県輪島地区や能登地区の避難所で、看護師として医療支援活動を行ってきました。
※ジャパンハート:「医療の届かないところに医療を届ける」を理念に国内外で活動する日本発祥の国際医療NGO
私が被災地入りしたのは発災から10日以上経過した1月13日。道路があちこち隆起し雪が覆われている状態の「でこぼこ道」を富山から約半日かけて輪島入りしました。
土砂崩れなどで通行止めの状態の道は、物資輸送や災害支援関連の車でとても渋滞していました。
【最初の駐在先は感染症対策を行っている避難所】
最初に駐在した輪島高校の避難所は、他とは異なり感染症対策を行っており、輪島地区の他の避難所で感染が判明した方々が集まる拠点でした。当然医療ニーズが高く、毎日DMAT等の医師が巡回診療を行い、私も含むジャパンハート看護師や日本看護協会の災害支援ナースなどが、24時間体制で感染者とそれ以外の避難者の対応をしていました(コロナウイルス、インフルエンザ、ノロウイルスなどの感染性腸炎の3種の感染者に対して、個別の教室を使った医療提供)。
※DMAT:厚生労働省により発足された「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」
こちらの避難所は医師の巡回や全国から多くの看護師が支援に入っており、ある程度の医療が提供できている状況でした。そんな中、同じ地区の鵜川小学校にある避難所が医療者不足で困っているとの情報があり、私は急遽そちらに向かうことになりました。
【次の駐在先は被災した当事者が医療支援者】
次の駐在先である鵜川小学校は、発災から2週間以上地元の看護師さんたちで避難所の医療サポートを行っていました。もちろん看護師の方々も被災者です。家に帰れば水道やガスは止まっており食事を作ることもできません。それでも毎日避難所に通い被災者の体調管理、健康観察、体調不良者のケアを行っていました。情報としては聞いておりましたが、私たちが到着した際に地元看護師さんたちが疲労困憊の中で見せた、ほっとした表情は今でも強く印象に残っています。前日調査に入った応援看護師が地元看護師さんから聞いた言葉です。「いろんな人が入れ替わり立ち代わりやってきて、いろいろ聞いてくる。現状を伝える。同じことを何回も話すけど結局帰ってしまう。その繰り返し。」
調査に入った看護師は、その言葉から支援者支援の必要性を強く感じ、ここでの支援を行うことを決定しました。地元看護師さんたちには休息をとって頂き、私たち応援看護師で避難所の方々の健康観察や体調不良者の対応を行いました。
【支援者を支援することの大切さ】
自然災害で多く起こることですが、被害が甚大だった場所には多くの支援者が集まります。そのためマスコミなどで報道され、注目され、結果更に人的支援、物的支援が集まりやすい循環が起きる一方で、報道されない被災地などには人も物も集まらないという支援のアンバランスが起きる傾向にあります。
今回参加しているジャパンハートさんは、そういった「支援の届かないところに支援を届ける」ところを得意とする団体です。その活動理念も、自身がジャパンハートさんに携わらせてもらっている大きな理由のひとつです。
これは、バディチームが子育て支援の中でも訪問型支援に重点を置いていることと考え方としては同じです。大きなSOSを出せる人とそうでない人がいる。声なき声を掴む。今回もその重要性を強く実感しました。
過去数回自然災害の支援活動をしてきた中で、毎回感じることは、支援者を支援することの大切さです。
避難所の運営は基本自治体が行いますが、自治体スタッフはもちろんのこと、避難所運営にかかわるあらゆる職種の方々、彼らも被災者であることがほとんどです。ご自身やご家族のこと、家のこと、これからのことなど多くの問題を抱えているのは、避難所にいる方々同様です。それでもご自身の役割を遂行するために様々な不安や恐怖を抱きながら、ギリギリの状態で活動しています。彼らをサポートすることの大切さを毎回痛感します。
【災害支援とバディチームの支援の共通点】
今回の活動は、現在バディチームで行っているコーディネーターとしての活動にも繋がっていると感じました。
子ども支援というと、どうしてもご家庭のお子さんを始めとしたご家族に目が行きがちで「彼らを何とか、すこしでもよい状況にしたい」という思いが先行してしまいます。
しかし、実際に現場に赴く支援員さんや子育てパートナーさんがいかにご家庭で力を発揮して頂くかがコーディネート業務で大切なことであり、その結果がご家庭のハッピーに繋がるということは忘れてはいけない視点です。被災地で私が大切にしている「支援者支援」「支援者の伴走者」と同様だと感じています。
今回の応援看護師としての活動は1週間足らずの短い期間ではありましたが、自身の大切にしているものを再認識し初心に立ち戻ることができる貴重な経験になりました。
被災地を離れてからはや2か月が経とうとしていますが、自宅で温かいお風呂に入る時など、今でも被災地の方々に申し訳ないような何とも言えない気持ちがむくむくと出てきたりもします。しかし、そんな感傷に浸っていても何も進まないことも分かっています。被災地の1日も早い復興を願いながら、今後ここから自分に何ができるのかを今も考え続けています。